西洋中世のキリスト教倫理学の視点から見て、今日の、日本や英語圏の世俗的倫理学の世界に欠けている論点は次のようなものではなかろうか。①このシンポジウムでも少し議論が出たが、リベラリズムの前提する個人的な善の構想と、中間社会や国民国家、国際社会それぞれの全体の「共同善」との関係を論ずること。善はそれが超越的になるほど普遍性を帯びると言えようが、各人が個別的善を追求することがいかに全体社会の超越的な共同善へと拡張してゆくのかを考えることは、リベラリズムに代わる社会・国家構想を提示するように思う。また善の超越性を考察することは、同時に倫理と宗教との関係を考察することにもつながるだろう。
次いで、②人間の死ということに注視しながら、人生の究極目的の考察を倫理学のうちに取り入れること。私見では多くのいわゆる現代の規範倫理学をめぐる議論はいわば《死の忘却》に陥っているように思われる。中世のトマス・アクィナスは、人生の究極目的としての「至福直観」こそ、倫理と宗教をつなぐものであり、人間の死を超えて問題になるものと考えていたと言えようが、現代のいわゆる規範倫理学は、人生の究極目的を論じないことで個別的行為を束ねる、いわば扇の要がなくなり、自己解体しているようにも思われる。
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