2015年9月12日土曜日

このまま流されたい?

 先日、生命倫理学を教えている看護学校の学生レポートを採点している中で、自分は脳死臓器移植に賛成だが、ドナーカードは持っていない、そこで国全体で「オプトアウト」(臓器提供への反対意思表示者のみドナー候補から外すという意思表示方式)を日本も採用すべきだとする学生の意見が目にとまった。

 私ぐらいの世代(?)の常識では、臓器提供のような重大な決定は、本人の熟慮と決断に基づく積極的意思表示を待ってはじめて許容されると思うのだが、こうした意見が出てくると、今の日本の現状をまた深く憂慮せざるを得ない。つまり、こうした意見の背後には、自分は責任を負ったり、主体的に決断したくはない、その為に色々と物事を考えたりしたくない、その代りに周囲に同調しながら場の「空気」に流されて生きたいという気持ちがあるのではなかろうか。

 感受性の鈍化、思考力の低下、責任意識の低下など、具体的な付随現象は複数挙げることが出来るだろうが、生きる目的とそのための倫理が公共的次元でかなり不分明になっている現代日本社会は、人間の存在様態の質料化を負の動力として、極めて危険な方向に進んでいるのではないかと憂慮せざるを得ない。 

 また、若者に関しては、閉塞感のある社会のなかでの彼らの「自己効力感」の低下が、外部の強力に見える力との自己同一化の心理を生み出しているのかもしれない。これは教育の喫緊の課題であるかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿