現代という時代について。
ドイツの指揮者ギュンター・ヴァントに「シュテルン」紙が1996年にインタビューしたという記事を「Kenichi Yamaguchi」氏のウェッブページで見つけたが、あまりに(ドイツにおいても日本においても共通らしい)現代という時代を的確に要約しているように思えるので引用させていただく。
「あと50年もすれば、我々が住んでいる今の時代はドイツの歴史の中でも最も馬鹿げた時代として考えられるのではないでしょうか。何一つまともなものがないからです。一人残らず絶えず移り変わる流行を追いかけて、王様の新しい着物に目を奪われている。王様が裸だということに誰も気が付かない。これは政治の世界だけでなく文化についてもそうです。そしてこれは常に真実でないとわかっているものに大騒ぎをする偽りの態度に結びついています。」(ヴァント談)
現代日本の文明にはもはや確たる根がないように思われるが、それはドイツも共通なのであろうか。ドイツの場合はキリスト教信仰という根の喪失であろう。「まともなもの」を生み出すためには人間が日常の現実のうちにしかと根を下ろし、腰を据えて何かを生み出さねばならないように思う。このヴァントの言葉は「ダイバーシティ」やら「多様性」やらの言葉、イデオロギーに振り回される現代世界にとって救いの言葉として響いているようにすら感じられる。
マックス・ピカートの名著『我々自身の中のヒトラー』を生んだ現代大衆社会とその文明は、いよいよ「まともなもの」を排斥しつつ狂気の度合いを強めているようにさえ感じられる。普遍的な「狂気」が構造化してきているのが現代社会の状況であるのかもしれない。人は現実に恐れを抱きながらも、変調の普遍化ゆえにもはや現実に対して心を閉ざし、「見ないように」しているようにも感じられる。
「常に真実でないとわかっているものに大騒ぎする」とは虚偽の普遍化であり、何物もまともには受け取らない態度の普遍化でもあろう。そうした文明からは「まともなもの」は生まれようがないのではなかろうか。ヴァントは96年から50年後に希望を抱いていたようであるが、人間本性の深層からの声に揺さぶられて「根」が再発見されるまでには、確かに一世代を意味する40年以上の時間がかかるのかもしれない。今我々がなさねばならないのは、「根」を再発見する努力と、それを次世代に伝えてゆくことであろう。
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返信削除Thank you Mr.Nguyen! Unfortunately this blog is written in Japanese. I consider,this blog may be written in English in future.
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